GOJARAPPE DAYS〜個人的な備忘録〜

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zoom RSS 花の谷の人びと

<<   作成日時 : 2014/04/02 11:55   >>

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随分前に読んだ「花の谷の人びと」を久々に読み返す。3年もかけて緩和ケア病棟をていねいに取材した土本亜理子さんのノンフィクション。そんなに有名な人ではないけれど(すいません)、とても好きな書き手の1人。この方の名前を拝見するといつも手にとって読みたくなる。こっそり尊敬している先輩ライター

こういう本を読むと改めて、生きることと死ぬことを正面から考える。

40を過ぎた頃から、人の死が決して遠くなくなる年代だなと実感するようになった。私は親が病気がちで、20代で亡くなっているので、常に死を考えてきた気がするのだけれど、それは自分よりも上の世代の話。身近だけれど、遠いみたいな感じだったかな。

それが、40を過ぎた頃、一緒にボランティアをしていた3つくらい年上の人が急死したり、幼稚園から中学まで一緒だった同級生がガンで亡くなったりと、40代の死を間近に経験した。

同年代の死と接すると、なぜTちゃんはガンになって、私はならないで生きていられるのだろうかと考える。Tちゃんが亡くなったとき、うちの母親がぽつんと、「若い人のガンは事故みたいなもんだから」と言っていたが、確かにそうでも思わないと周囲は救われない。

ならば、その事故に遭うか、遭わないかはやっぱり運命としか言いようがないのだろうか。

自分はやっぱり、生かされているのだろうか。

以前、母親と畑にいたとき、ふと、
「昨年までできていたことがだんだんできなくなっているんだよ」

と、ぼやいていた。

「枝豆のいちばんおいしい収穫のタイミングを見逃して、熟れすぎてしまったんだよ、今まで絶対にそんなことはしたことなかったのに」

とか。

「今年は梅を漬けなかった、力が出なくてさ」

とか。

そうやって枯れていくような老いと向き合うことは、とても残酷だ。

それでも、まだまだこれからというときにこの世を去っていった人を思うと、幸せなことなのかもしれない。

花の谷の院長先生は、人生をやり通したと思うような高齢の方でも、皆、この世に未練を残して逝くと言う。人間は皆、死んでいくのは大変だと。

どんな局面でも、笑って死んでいけるほど、人間は立派なものではないということか……。

本の中にこんな一節がある

私たちがこの地球上で暮らしていくとはどういうことなのか、
この世に命を得て、いずれ去っていくとはどういうことなのか。

ふう〜。まとまりのない文章だな。

らしく生きないとね。

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