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テレビを付けながら、WEB記事の細かい最終作業をしていたときに、“日向(ひなた)ぼっこ”という居場所(NHK)という番組が始まり、思わず手を止める。児童養護施設を出た大人たちが自分たちの居場所を作り、ぶつかり合いながら、それぞれが自分と向き合うという番組。なんで手を止めたかというと、ちょうど今作業していた記事が、児童養護施設を取材したものだったから。 児童養護施設は、今や親がいない孤児のための施設ではなく、育児放棄や虐待を受けた子どもたちが大半となっている。取材した施設は、驚くほど環境の整った場所だったが、それでも、子どもたちがどれほどの心の傷を受けてきたかを思わずにはいられない瞬間があった。なんで自分の子どもすらきちんと育てられない大人がこんなに増えているのか、わが子ほど自分を愛してくれる存在はいないのにどうしてそれに気づかない親がいるのだろう。教育基本法を変えたり、授業数を増やしたりする前に、もっと大事な教育をすべきじゃないのだろうか。今日はそんなことをつらつら考えながら仕事をしていた。 テレビに出ていた人たちはもちろん私の取材した施設とは無関係だが、子どもの頃に大きな傷を負っているのは変わりなかった。そしてその傷をずっと抱えたまま、もがいている様子が生々しく映し出されていた。カメラって本当に残酷だ。 主宰の女の子は「子どもたちが、自分と同じ思いをしないですむように」と大学で福祉を専攻しているという。痛みを知っている分、きっと優しいケアのできる人になるんだろうなと思う。というか願いたい。でも、きっとその前に自分の抱えていることとどこか折り合いを付けないといけないのだろうな。彼女が作った新しい居場所はきっとそのために必要な場所なんだろうななどと考えた。 それはそうと、取材したのはカトリックの施設だったのだが、改めてカトリックの凄みを思い知った。献身、奉仕という点ではカトリック精神を上回る思想はないのかもしれない。さすがは、マザーテレサを生んだ宗教と書いてしまうと軽すぎかな。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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カトリック修道女の修行をして、その後イスラーム改宗した日本人ムスリマが書いていたのですが、修行中は“自我をなくす”ということが非常に重要とされていたそうです。 |
フラ 2007/11/17 20:40 |
フラさん |
ご 2007/11/18 15:22 |
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